【ヨンジ、家の前】
ヨンジは帰りの遅いチョインを待ちながら、チョインの担当医を訪ねたときの言葉を思い出していた。
−カンホ兄さんが記憶を取り戻したら、今のことは全部忘れてしまうんですか?
−解離性遁走(とんそう)のことを仰られている様子ですが...
−ええそうです。カンホ兄さんは、自分に起きたことは何一つ覚えていないのに、他の事を全部覚えているようなんです。
−正常な解離性遁走なら、その可能性も否定できないでしょう。
そこへ、チョインが駆け足で戻ってくるが、また具合が悪くなり、ヨンジの前で吐いてしまう。チョインが苦しむ様子を複雑な想いで見つめるヨンジ。チョインは顔を上げるとヨンジがいるのに気がつく。
−ヨンジさん、僕を待っていたの?感動で涙が出そうだな...
チョインの優しい言葉が余計に心に突き刺さり、パッと背を向けるヨンジだが、そんなヨンジの手をチョインがしっかりと掴む。
−怒ったの?怒ってるんだね...たくさん心配させた?
1日中連絡が取れなかったことで怒りの収まらない様子のヨンジにごめんね、と謝るチョイン。
−もう後悔しているんですか?
病院のリストをチョインに手渡すヨンジは、チョインが毎日精神科に行ったり、病院を探しまわったりしていたことに対し、腹を立てる。
−そんなに記憶を取り戻したいんですか?私との約束など眼中になく、先生は、早く記憶を取り戻したいと思っているのですか?
−そうです...取り戻したい...ヨンジさんには申し訳ないけれど、毎晩、誰が僕の頭に銃弾を撃ち、生きたくてもがいて逃げ惑う悪夢に苦しむ度、おかしくなりそうでした...少なくても、なぜ私が殺されるようなことになったのかを、知りたいんです。
−そんなことを何故知りたいんです?苦しくてつらい記憶を何故取り戻したいんです?
ヨンジの言葉に涙を浮かべるチョイン。
−ヨンジさん...そんなふうに言わないで...いくら悪い記憶であっても、取り戻したいんだ。記憶を取り戻したとしても、ヨンジさんの知るオ・ガンホとして生きると言う約束、守るから...少しだけ、理解してくれないか?
ヨンジはチョインの言葉に耳を貸さず、解離性遁走についてチョインに伝えてしまう。ヨンジの言葉から、記憶を取り戻すことで今の記憶をなくしてしまう可能性もあると知ったチョインは、ヨンジの気持ちは十分に理解しながらも、ヨンジの態度にも、突然突き付けられた現実にも深い失望感に包まれていく。
−ヨンジさん、私が記憶を取り戻そうとせず、ただオ・ガンホとして生きましょうか
−ええ、ええ!そうしてくれれば嬉しいです...先生が記憶を探さずに、オ・ガンホとして生きてほしいということです...
泣きながら部屋へ戻るヨンジの後ろ姿をチョインは悲痛な表情で見つめていた。
翌日、仕事を終えたヨンジが呆然と暗い路地を歩いていると、古い塀に壁画が描かれているのに気づく。泣いている少女の絵に目線をやった瞬間、ヨンジの携帯にチョインからのメールが届く。
−泣いているこの子のように、絶対にあなたの顔に影を作りたくありません。
次の角を曲がるヨンジに、チョインからの2番目のメールが届く。壁には笑顔で遊ぶ子供たちの絵が描かれている。
−あなたとは、この子供たちのように、明るく生きて行きたいです。自分の名前さえ思い出せない馬鹿な奴だけど、子供たちが一つ二つ歳を重ねていくように、あなたとの思い出もそんなふうに一つ、二つと作っていきたいです。そんなふうに一日一日、あなたが少女になり、淑女になるように、私もそのそばで一緒に育っていきたいです...そんなふうに記憶を取り戻して、そばにいたいです...ヨンジさんと僕が、こうして、ふっくらしていくようにね...
涙を浮かべ、壁画に描かれたふくよかな夫婦と子供の画を見つめているヨンジに、傍で様子を見守っていたチョインが呼びかける。
−オ・ヨンジ同志!
声のする方へ目線を移したヨンジは、チョインがその手にバースデーケーキを持っていることに驚き、言葉が出てこない。
−オ・ヨンジ同志、誕生日おめでとうございます...
−先生、ごめんなさい、私が悪かったです...
涙が次々と溢れるヨンジは、チョインの胸に顔を寄せる。ケーキを持ち上げ、ヨンジを温かく抱き寄せるチョイン。
−先生が本当に行ってしまったと思って...私が悪い人だから、本当に捨てられた思って...
−ヨンジさんがどうして悪い人なんです?僕にとってどれだけありがたい人か...
ヨンジは顔を上げ、二人は見つめあう。
−ヨンジさん、ヨンジさんが願うなら、そうします...記憶を取り戻すのはもうやめにします...
−本当ですか?本当に、記憶を探さないんですか?
−うん...
−ありがとう、ありがとう、先生..
−うん?毎日“オ・ガンホ同志、オ・ガンホ同志!”そう言ってるのに、今日はどうしてまた“先生”って?...ヨンジさん、これから“オッパ(兄さん)”って言うのはどう?カンホオッパ...
−ええ、そうします...そう呼びます、カンホオッパ...
チョインは笑顔を浮かべ、ヨンジの顔を覗き込む。
−さあ、そろそろ祈って、火を消さなくちゃね。
ろうそくの炎を吹き消しながら、ヨンジは自分の願いは全て叶いました、先生が離れないでくれたから全て叶いましたと心の中でつぶやく。部屋に戻ったチョインは、ヨンジに贈り物の化粧品とワンピースを渡す。チョインに勧められ、嬉しそうにプレゼントされたワンピースを身につけるヨンジを見つながら、チョインは記憶を探すのを少し先に延ばすことを決意していた。
−少ししたらまた探そう...僕が誰かは、ヨンジさんが幸せになった後、その時探そう...
【ソヌとソヨン 病院〜海辺】
翌朝、自転車で二人乗りをして仕事に出かける二人の姿を、チェ・ボックンがカメラに収めていた。チョインの写真を受け取ったソヌは、チョインの居場所を確認したチェから情報を得ると、すぐに清州に向かうため病院を出ようとする。そこへソヌの詳しい病状を聞いたソヨンが姿を見せ、デートして欲しいと申し出る。二人は海辺へ向かう電車に乗り込み、昔の思い出を懐かしむ。海辺を歩きながら、ソヨンはソヌがかつて自分を救ってくれたことに感謝しながら、“今度はオッパが私を信じて、治療を受けてくれる?”とソヌを説得する。ソヨンの優しさに、ソヌはうなずき、治療を受けると答える。
−それなら約束してくれる?また元気になってくれるって約束してくれる?
−(うなずいて)ソヨン、君も僕に約束してくれるか?僕が君のそばで、生き続けるためにどんなことをしても、僕の味方でいてくれるか?僕がどんな悪い決心をしても、それが君のそばにいるためだったら、最後まで信じてくれるかい?
−信じるわ、信じるわ、オッパ...
【チョイン、仕事中】
チョインの様子を確認するため、チェ社長がチョインに故意にぶつかってくる。慌てて“すみません”と謝るチョインが相手の顔を見た途端、どこかで見た覚えのある顔に思わずチョインは相手の腕を掴む。
−もしかして、私をご存じありませんか?
−初めて会ったが...
−すみません...
怯えた表情でその場を去るチョインが、気付かないふりをしているだけではと疑うヤン・マノだったが、チェ・ボックンはどちらにせよ金をもらえらばそれでいいと話し、その場を後にする。ヤン・マノは依頼者ソヌは自分の弟を探すよりも重要なことがあるのではとの疑問を抱いていた。その夜、チョインは再び悪夢にうなされ、目を覚ます。様子がおかしいことに気付いたヨンジがチョインの元へ。
−カンホオッパ、また怖い夢を見たんですか?今日は寝言がいつもと違うようです...ああ、どうしてこんなに冷や汗を?ちょっと待ってね、私がタオルを持ってきますね...
立ち上がるヨンジの服を掴むチョイン。
−ヨンジさん...少しだけ、そばにいてくれませんか?
−今日、何かあったんですか?
−(怯えたまま下を向いて)...いいえ...いいえ...ある人に会ったんですが、誰かも分からないのに、何も覚えていない人なのに...泣き出したくなるほど、怖かった...息が止まるくらいに...怖かった...
震えが止まらないチョインをそっと抱きしめるヨンジ。
−もう大丈夫ですよ...私がそばにいてあげますから、何も心配せず休んでください...このところ仕事で疲れているからそうなんですよ...明日は...何もせず、家でゆっくり休みましょう...
−温かい...母の胸の中は、こんなものなのかな...
母を懐かしみ、怯えて涙を流すチョインの胸の内を想い、ヨンジもまた胸を痛めていた。
【清州 個人病院 精神科】
ヨンジはチョインの様子を心配し、医師に相談に向かう。症状から、PTSDではないかという医師の言葉に表情を曇らせるヨンジ。殺されるほどの恐怖を味わったチョインが、恐怖からの逃避のために記憶喪失となったかもしれないことと、今後放置すると不安障害などが悪化することもあり、社会適応に失敗する場合もあるとの医師の言葉に、ヨンジは激しいショックを受けるとともに、罪悪感にさいなまれる。
その頃、家でヨンジの帰りを待ちながら料理をしていたチョインの耳に、ラジオから懐かしいメロディが聴こえてくる。ソヨンの歌を聴きながら、チョインの胸は痛みだし、その両手をじっと見つめていると、理由も分からないまま涙があふれ出す。帰宅したヨンジに気付き、慌てて涙を拭いたチョインが何もなかったように振る舞う様子に、ヨンジは胸が張り裂けそうになる。
【ソヌ 清州へ】
チョインの姿を遠くから確認したソヌは、自ら車を運転し、自転車で配達中、思いつめた表情で立ち尽くすチョインの後ろ姿を見つける。その姿をすぐ後ろで見ながらチェ社長に電話をかけるソヌ。
−チェ・ボックンさん...金を受け取りたいでしょう?それなら中国で支持されたとおりに処理してください。イ・チョイン、死体処理までしてくれという話です...
チョインを完全に敵視しているソヌは、チョインの兄ソヌとしての自分を捨て、完全にチョインに背を向けてしまう。ソヌの指令に驚きを隠せないチェ・ボックンだったが、すぐには指示通りに動くつもりはないことをヤン・マノにほのめかす。
チョインが配達から戻ると、ヨンジが今日は営業は終わりですとメモを残し、外出していた。ヨンジは昔からの友人のチノの店で、焼酎を何本も飲んでいた。何かあったのかと心配するチノ。本当に欲しかったものが天から降ってきたけれど、私がもらってもいいのかな、と話すヨンジに、持ち主がいるなら返さなきゃと答えるチノ。ヨンジも本来分かってはいながらできずにいたことを、チノの言葉に、チョインを手放さなければと改めて自分を戒めるヨンジだった。
【チョインとヨンジ、ピクニックの準備〜病院】
翌朝、チョインより早く起きて海苔巻を作るヨンジは、仕事を休んでピクニックに行きましょうとチョインを誘う。今日は網を引く日だから大清湖に少しだけ寄っていいかというチョイン。ヨンジがうなずくと、チョインは作ったばかりの海苔巻を頬張り、嬉しそうに準備を始める。そんなチョインの姿を、ある決意を胸に寂しそうに見つめるヨンジ。
いつものように釣れた魚を店に卸しに行くと、店の社長が意識を失い倒れているのに気がつく。倒れている男性の元へ駆け寄ったチョインは、また救命措置をしようとしたところ、ヨンジとの約束を思い出して振り返る。
−(迷いを振り切るように)何してるんです!早く治療してください!人が死ぬのを見ているつもりですか?
−(ヨンジの言葉に微笑み)救急車を呼んで下さい、早く!
患者を乗せた救急車が向かったのは、チョインの上司だったキム・ヒョンジュのいる清州ポソン病院だった。救急医療センターの騒然とした雰囲気の中、チョインの脳裏に銃で撃たれる前の記憶が次々と蘇ってくる。呆然と立ち尽くすチョインの姿に、患者に駆け寄ってきたヒョンジュが気づき、その横顔をじっと見つめる。
−イ・チョイン?
チョインは次々と脳裏に浮かぶ過去の記憶に衝撃を受け、病院の外へと出て行く。一人の男性の顔がしきりに浮かび、その男性を“兄さん”と呼ぶ自分の声...ふと思い出した電話番号を押してみるチョイン。その番号は、兄ソヌの携帯電話の番号だった。電話に応答するソヌ。
−はい...
−あの...もしかして私をご存じありませんか?私の名はイ・チョインです...私の名は、イ・チョインです。ご存じありませんか?
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