【李朝第19代王 粛宗/숙종(スクチョン) 在位1674〜1720】
スクチョン王の時代が「茶母」の背景となっています。スクチョン王といえば、王の側室である張禧嬪(チャン・ヒビン)の名をご存知の方も多いはず。
※2003年KBSドラマ「張禧嬪(チャン・ヒビン)」
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粛宗/숙종(スクチョン)の最初の后、仁敬王后は跡継ぎを得ぬまま亡くなり、その後の后である仁顕王后も男児を得ることができません。
王室の跡取り問題は国家の一大事。そこでスクチョン王は側室チャン・オクチョン(後のチャン・ヒビン)が産んだ王子を跡継ぎとしようとしたところ、老論派が大きく反発します。これにより西人派の臣下らはすべて追放され、なんとスクチョン王、あろうことか王妃の仁顕王后までも追放してしまうのです!ついにチャン・ヒビンが王妃となってしまいました..。
「茶母」の中で、王の跡継ぎである世子の妃選びが行われます。このことから、ドラマで描かれた時代は、チャン・ヒビンが王妃であったことが分かります。ファンボ・ユンを臣下に迎え入れようとするスクチョン王の傍で“断らないでおくれ”といったのもチャン・ヒビン!!ということに...。いや、あれはもしかすると復位した仁顕王后?う〜ん、その点は監督にインタビューしてみたいです。そんな機会があるはずもないですが(汗)...。
5年ほどの時が流れ、王妃チャン氏と南人派の勢力は弱まり始め、ついには破綻を迎えます。王妃の座を奪われた仁顕王后の復位を求め、西人派勢力が再び動き始めます。
スクチョンのもう一人の側室、チェ氏の存在を利用し、チャン氏を陥れることに成功した西人派は、スクチョン王が仁顕王后を王室へ呼び戻させることに力を注ぎ、実現させました。
重なる不安定な政局の動きや投獄などにより、当然大きな苦痛を強いられるのは民でした。西人派と南人派の争いが本格化し、国の向かう方向すら見えなくなる中、政治的実権の取得ばかりに目が向く大臣たち。
そんな中、「就善堂」をめぐる事件が起こります。再び王妃となることを望むチャン・ヒビンは流刑となっていた兄チャン・ヒジェと南人派勢力の訳官であったチェ・ダルピョンや軍務長官のチョン・ピルジュンなどと手を結びます。
:::ここまでは史実に基づいた歴史背景:::
:::脚色はここから:::
政権交代の荒波の中、改革論者であったために無念の死を遂げたチャン・イルスンの遺した息子チャン・ジェムを利用して民心を煽り、当時の日本と手を結んだチョン・ピルジュンは、ドラマの中では“悪”として描かれていますが、新しい世の中を願った一人だったのでしょうか。
大きな歴史の流れの中、不安定な政治情勢に巻き込まれた民が抱く夢を、チャン・ソンベクとファンボ・ユン、チャン・チェオクを通じて感じることができる「茶母」。その魅力は果てしなく海のように深いです。
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