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韓国茶の歴史


茶母として、チェオクが心をこめて用意した茶にはどんな種類のものがあったのでしょう?韓国における茶の歴史について、調べてみました。翻訳はisによるものです。ご了承ください。

また、花かんざしさんから、韓国茶についての貴重なお話を伺うことができましたたのでご紹介させていただきます。花かんざしさん、ありがとうございます。
 



【韓国茶の歴史】
:::参考書籍:新・國史事典 文学博士 李弘稙 編(韓国語のみ):::

茶−飲料の材料。我が国固有の茶は山茶甘茶がある。善徳女王(生年不詳-647年、新羅第27代王)時代、唐(現在の中国)より、栽培されたものが伝来した。その後、興徳王(生年不詳-836年、新羅第42代王)時代、金大廉が唐から茶の種を持ち帰り、王命で地理山(智異山)に植えさせてから、新羅各地へ広がった。新羅時代、茶は貴重なものとみなされ、入手に躍起になったものが唐まで渡り飲用したと言われる。

新羅、高麗時代を通じ、茶は僧侶により様々な場所を渡り、高麗時代は宮中に茶房と呼ばれる茶を貯蔵する場所が生まれ、茶村と呼ばれる部落も生まれた。寺院や王室などの年中行事では、必ず果実酒と茶が振舞われた。外国からの使臣を接待する時も、珍羞(珍しくて美味しい食べ物のこと)とともに茶が振舞われた。また、貴族の間に茶具を扱う風習が流行し、これが高麗磁器の発展の一因にもなったと言う。李朝に入ると、抑佛崇儒(仏教を抑圧し、儒教を崇拝する策)により、仏教と関係の深い飲茶の風習も衰退することになった。

1471
年、金宗直(キム・ジョンジク)が咸陽郡主となると、民弊(国民に対する弊害)が和らぎ、茶木を育てる茶園が築かれる。丁若(チョン・ヤンギョン)は遠く全羅南道の康津(カンジン)へ流刑にされると、山茶の培養を始め、東茶記を著述し、金正喜(キム・ジョンヒ)も茶道に深い理解を示したと言われている。年中行事の一つとして、茶礼のようないにしえの遺風を私たち民族の一部として作り上げた。
 

【韓国における茶の文化】by 花かんざしさん
:::参考書籍:「韓国の茶道文化」
金 明培著:::

現存の資料があまりにも少ないためにはっきりとしたことがわからないままの韓国のお茶の歴史ですが、この本によると朝鮮王朝時代にも「茶礼」というものがあり、中国や日本との外交接待時にお茶でもてなしたとあります。 

また、茶房には新任官吏が勤めるように義務付けられていたとか、茶母は医女育成中に成績の落ちる生徒が茶母に格下げされ、あとで成績によってもとの医女に戻ったなどとありました。またドラマのような事件捜査に当たっていたという記述は見当たりませんでした。

朝鮮半島における茶の栽培は気候に適した全羅南道が中心のようですが、朝鮮王朝時代はそれほど盛んでもなかったようで生産量も多くなかったようです。その後日帝時代に日本人が茶園を開いたそうです。

茶の種類
・雀舌茶(チャクソルチャ)…日本の緑茶に近く、高級品
「団茶」「天地茶」「緑苔銭」「青苔銭」「餅茶」…雀舌茶を摘んだ後の茶葉で作る固形茶、銭の形状で穴に紐などを通して吊るしておき、2,3個を火で焙ってから沸騰した薬缶に入れて飲む。銭型でなく拳くらいの餅形もあった。